NZ生活

ワイタンギ条約周りのいざこざを理解するためにNZの歴史をまとめます

こんにちは、とのっちょです。

先日NZ議会でワイタンギ条約をめぐるいざこざでマオリ党が議会でハカを踊り議事が一時ストップするというトラブルがありました。

NZの歴史やワイタンギ条約の経緯、そして上位役締結後のNZで起きたことなんかをある程度理解していないと、なぜここまでマオリが怒っているのかを理解することはなかなか難しいんじゃないでしょうか。

そこで、何回かに分けてNZのワイタンギ条約をめぐる歴史、というのを書いてみようと思います。

NZってそもそも誰の国?

日本人の多くはNZは映画の撮影や自然、そして羊が多い国、という認識をしているかもしれません。

ですが、そもそもNZの歴史は一体どうやって始まったのか、という点からわからない人も多いと思います。

そしていま一番の問題もこの「NZって誰の国?」が実はあまりはっきりしていないという点でもあったりします。

この点については次回のエントリーで書くことにします

誰の国かは今はっきりとしたものがありませんが、誰が最初に住んでいたかはわかります。

それがマオリ族です。

マオリ族が住む以前に誰かが住んでいたのか、についてはなにか証拠があるわけではなく、いまはっきりしている中で一番古くから住んでいる民族がマオリ族だ、という意味です。

マオリ族は一体どういった人たちで一体いつからNZに住んでいた?

マオリ族というのはポリネシア系の人々で、外流、風邪、そして星を頼りに旅をする人々でした。

マオリ族の人々はNZのいろいろな場所にwaka、つまりカヌーを使って北島の東岸に上陸しました。

これが西暦で言うところの1250-1300年位のことです。

wakaというとこの歌はNZの子どもたちは大概知っていると思います。

マオリ族がそもそもどこに住んでいたのかについては明らかではないのですが、クック諸島なおラロトンガやソシエテ諸島のライアテアから来たのでは等々諸説あります。

マオリの伝統ではNZを発見したのはマオリ族の冒険家であるKupeという人のようです。

マオリ族の生活様式

マオリ族は家族単位の集落を作り、日々狩りをして暮らしていたようです。

朝起きると日の出に祈りと歌を捧げ、狩り、釣り、採取(貝など)を行い、また農業もやっていたようです。彼らが育てた野菜の一つがクマラという芋であり、これはNZに来るときに持ってきたようです。

彼らの調理法は「ハンギ」と呼ばれていて、熱した石と一緒に食材を地下に埋めて蒸し焼きにします。

こちらは最近の人が作るハンギの動画ですが、昔は草で作ったカゴなんかを使っていたようですね。

集落に所属する人々はそれぞれが役割を追って生活をする、という状態だったようで、ワイタンギ条約締結時も500以上の部族が林立していたようです。

これでマオリのことはだいたいわかったと思います。1300年前後にマオリの探検家KupeがNZの島を発見し、その後マオリがwakaというカヌーに乗って次々と移住してきた、ということです。

Maoriという言葉の変遷とPakeha

マオリという言葉は実は民族を指す言葉では本来ありません。マオリという言葉はそもそもは普通の、いつもの、という感じの言葉であり、原住民としてマオリという言葉が用いられたのはなぜでしょうか、それはヨーロッパ人たちが大航海時代の流れに乗ってやってきたことと無関係ではありません。

大航海時代に白人たちが入植することになり、1830年代になると、自分たちと入植者たちを区別するようになり、その際に自分たちをMaori、そして入植者たちをPakehaと呼ぶようになりました。

このときのMaoriという単語は「普通の人々」という意味であり、Pakehaは「イギリス人、外国人、ヨーロパ人、NZの外から来た人々」という意味もありますし、「侵略者」という意味もあります。

Maoriという単語の意味はこちら

Pakehaという単語の意味はこちら

ではそんなヨーロッパ人ですが、どのようにNZにたどり着いたのでしょうか

ヨーロッパ人のNZ到達

ヨーロッパは15−17世紀に大航海時代に突入し、世界中に植民地を作っていました。南半球も例外ではなく、最初にNZに到達したのはエイベル・タスマンという人物と言われています。

彼がNZに到着したのは1642年ですが、そのときに遭遇したマオリ族と戦闘になり、避難しています。

NZにNew Zealandと名付けたのはこのときの航海士かな、海図を作る人で、オランダのZealandにちなんだのかもしれません。

その後100年以上立ってコントはジェームズ・クックという人がNZにたどり着きます。彼はちなみにオーストラリアも発見したんだか、住める場所を見つけたんだかした人です。

クックは1768-1771、1772-1775、そして1776-1779に来たようで、1777年にはNZを訪れたようです。よくわからんけど、1777年にNZに上陸したってことでしょう。

クックもマオリと揉めましたが、タヒチ人の神父を仲介役にしたようです。

この辺にざっと書いてあります。

ヨーロッパ人の入植

1770年代終盤にジェームズ・クックがNZに到達したあと、ヨーロッパ人の入植はかなり緩やか立ったようです。

最初に入植してきたヨーロッパ人はこんな感じだったようです。AIって役に立ちますね。

  • 逃亡した船乗り
  • 逃亡犯
  • Sealersとありますが、おそらく土地の計測などをする人でしょう
  • 捕鯨船
  • 宣教師とその家族

この辺の人々が1835年位まで入植していき、その5年後にワイタンギ条約が締結されます。

ではこの1830年代くらいまではどういう時代だったのでしょうか?

マスケット戦争

NZではマスケット戦争と呼ばれる戦争が1810年代、1820年代、そして1830年代に起こります。これによって何千人ものマオリが犠牲になりました。

この戦争は北島の Ngāpuhi という部族とNgāti Whātuaの対立によっておきたようです。その後マオリはマスケット銃を手に入れようと頑張っていたようです。

マオリの間では部族間抗争というのは常に起きており、ヨーロッパ人の持ち込んだマスケット銃が状況を悪化させたというマオリもいるようです。

マスケット戦争についてはこちら

というようにマオリの部族間でもヨーロッパ人の持ち込んだもので色々と変わっていった時代ということができると思います。

次回はワイタンギ条約からNZ戦争

そいうわけでマオリが住み着き始めてからマスケット戦争くらいまでをざっと書きました。

違うところもあると思いますし他にも触れるべき箇所はあるかもしれませんが、今回はここまでにします。